濱菊_瀬山

建物を設計しながら考えたことなど
ミリメーターの結婚式



先日、友人であるミリメーターの二人の結婚披露パーティーに招いていただき、参加してきた。非常にすばらしいパーティーであったので、ここにメモを残しておくことにしたい。(5日にupしたエントリを7日付で微妙に修正しています。)

このパーティーは、代々木公園で行われた。結婚披露パーティーという、まあ、世の中ではどちらかというとフォーマルな物と考えられているであろうイベントが、代々木公園という会場の青空の下で行われるという、意表をついた…しかし、彼らのデザインを一度でも目にしたことのある者からすれば、実に「らしい」ともいえる形式のものであった。

参加者には、事前に「public wedding kit」と名付けられたピクニック用品一式が送付され、その中に、会場までの地図とシャンパン、ブーケ用の一輪(会場で皆が笠置氏へと手渡し、それを笠置氏が束ねてブーケにし、宮口さんへ手渡した)や米(ライスシャワー用)、ビニールシートの敷物(座席を作るため)、お菓子、てるてる坊主等がおさめられていた。

当日、会場では次のようなことが起こっていた。

・晴天の空の下、野原に大勢の来客がならぶことでバージンロードがつくられていた。
・乾杯の合図で一斉に栓が抜かれ、溢れ出したシャンパンが風に乗って飛沫となっていた。
・地面が杭によってマーキングされ、座席が指示されていた。
・その杭の周りに敷物を敷いて、酒と料理の入ったバスケットを囲むように座席が作られた。
・そんな風に作られた座席の間を、笠置氏の父上と母上が皆にお酒をついで回っていた。
・周りでキャッチボールをしている親子がいた。
・その親子の投げたボールがパーティーの輪の中に入ってきたりもした。
・集合写真を撮影するときに、どこかの子供が吹いたシャボン玉が漂っていた。
・ウエディングケーキが芝生を模した形をしていた。
・そのケーキにスコップで入刀が行われた。
・パーティーの参加者だけでなく、公園に遊びに来ていただけの人も周りから拍手を送っていた。
・また、海外からの観光客(だろうか。外人の親子連れや団体の方々)もみな足を止め、撮影したり拍手を送ったりしていた。
・とにかく、そこにある様々な要素がすべて一体となって、ひとつの質を持った「場所」をつくり出していた。


こんな風に、結婚披露パーティーという、ある種の形式性を要求する場所があまりにも自然にそこに現れているということが、ちょっとした驚きであり、また、感動的でもあった。(おそらく「会場が野原である」ということ以外は、きわめてまっとう、かつ形式的に披露宴が行われているということがここでは重要なのだろう。)
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| 建築計画 | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
googleのことなど その2

更新が遅くてすいません…今年はせめて月に一度程度のペースで更新できればと思っていたのですが、すでに二月も半ば…。なかなか余裕がありませんが、今年もよろしくお願いします。


前回のエントリの続き。googleのことを考えていて、私が委員の末席に座らせていただいている「世界のすまいかたフォーラム」でアニリール・セルカン氏を招いて話を伺った時のことを思い出していた。

セルカン氏(略歴はここを参照して下さい)の話は、最新のテクノロジーを用いて建築の姿を更新することを主眼としているもので、その内容は宇宙エレベーターと呼ばれるインフラの話から、身の回りの設備機器を制御する情報技術についてまで多岐にわたっていた。いずれもある種のSF的想像力(実際話の中でターミネーターやブレードランナーといった映画のスチール写真が用いられ、それらの技術と関連づけて説明されていた)から話が組み立てられ、文字通りの「夢にあふれている」ものであったと言える。

特に、前回のエントリと関係があるように思われたのは次のような話である。要約するとこうだ。「家の中に設備機器の情報を管理する基盤を導入する。その基盤では、電気の使用量や水道の使用量等を「目に見える形で」表示させることができる。この基盤を導入することで、水や電気といったエネルギーについての消費にかんするロスを劇的に減らすことが可能だろう。」すなわち、一回トイレを使用したときにどれだけの量の水が使用されているか?ということに人はそれほど意識的になって生活していないが、これを目に見える形で表示させるシステムを導入することで、人は生活の中で自分がどれだけの量のエネルギーを消費しているかを知ることになる。すると、それだけで自ずとそれらについての消費量が減るだけでなく、たとえばひと月あたりの目標数値を設定して、その目標を守るように消費量をコントロールするというようなことも容易になるというわけなのだった。

これはいってみれば、家という単位でレコーディングダイエットをするようなものである。このダイエット方法も、エネルギーに関する情報を記録するだけで驚くほどダイエットの効果が上がってしまうということを実証するものだった。実際、住宅についてこの情報管理システムが運用されている様を考えると、かなり効果的にエネルギーのロスをセーブできるものに感じられ、これが例えば数百万軒規模の住宅で実施されたときに減らせる「無駄な出費」の量を考えるとそれほど悪くないようにも思えるのである。
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| 建築計画 | 17:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
都営バスに乗りながら考えた事のメモ
バス02 バス01

最近、都営バスに乗る機会が多かったのだが、その車窓の風景を眺めながら考えた事をメモしておきたい。ここ数ヶ月、渋谷駅の東口、54番のバス乗り場から出る「日赤医療センター行」のバスに乗る事が多かった。このバスの路線が、なかなか曲者であったのである。

といっても、道自体には特に変わったことがあるというわけではない。バスの路線は渋谷駅から日赤の医療センターに向かう際に、国学院大学を経由するため、渋谷と恵比寿の間にある住宅街の路地を通り抜けるという、それだけのもので、その道にはとりたてておかしなところがあるわけではない、普通の道なのだ。しかし、この道を「バスが通り抜ける」ことになったときに、その様子は大きく変わってくる。そこには、運送業者のトラックや、工事現場の施工用車両が路上に駐車されている。また、電柱、ガードレール、歩行者といったものが、バス同士がすれ違うことが出来ない幅の道の中にはみだして乱立している。その他、急坂からの坂道発進、幹線道路内での3車線変更など、バスの運行をシミュレーションした際に考えられる、あらゆる嫌な要素のオンパレードなのである。これら嫌な要素で満たされた細い道の中を、バスはギアチェンジを繰り返しながら、のろのろと目的地に向かってゆくのである。

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| 建築計画 | 21:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
上越新幹線の車窓からの風景を眺めながら思いついたことのメモ

ここ最近、現場管理で群馬県の前橋まで行く事があり、その際に上越新幹線を使う機会が多かったのだが、幾度か乗っているうちに、その車窓から見える風景について面白い発見があったので、ここに書き留めておくことにしたい。

ちなみに、新幹線を使わない場合、新宿から在来線の湘南新宿ラインを利用し、途中から高崎線の路線に乗り入れ前橋まで向かうことになる。その際に車窓から見える景色は次のようなものだ。すなわち、新宿を出てすぐに、線路脇に地元の工務店やらハウスメーカーによって建てられた住宅やアパート、マンションが高密度に立ち並ぶ風景がひたすら延々と繰り返され、それらの中にほとんど変化を感じ取る事もできぬまま、2時間近くが過ぎ、その密度が若干緩くなってきたかな…というころになって、前橋に到着する。在来線の車窓の風景に限って言えば、そこには「境界」が存在しないのである。なんというか、絵に描いたかのごとく退屈な風景が、穏やかなグラデーションを描きながら切れ目なく連続した地続きの場所として、前橋市は存在するのだった。(というか、これは特に前橋市に限った事ではないのかもしれない。在来線を利用して東京から数時間の距離にある都市、たとえば宇都宮や木更津、ひたちなか市などへ向かう電車の車窓の風景からは、少なからずこのような印象を受けることになるのではないだろうか。)

ところが、上越新幹線に乗ってみると、その車窓の風景からは一転してこのような印象とは全く異なった印象が与えられてしまうのである。なぜなら、その車窓からの風景においては、はっきりと、ドラスティックに都市からそうでない場所へと風景が切り替わる瞬間が、目に見えて存在するのである。なんというか、「ここはヨーロッパの中世の都市ですか?」と言ってよいくらいにはっきりと。
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| 建築計画 | 18:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
量・スケール・SMLXL



■量

昨年末のことなのだが、興味深い広告を見つけたので書き留めておこうと思う。

それは、広辞苑の広告なのだが、なんというか、広告などと呼ぶにはあまりにも直接的かつ即物的なものなので、一見すると、それが広告であるようには見えない代物だった。

それは、新宿駅の東口から西口へ通り抜ける地下通路の壁に「縮刷された広辞苑の全ページが貼ってある」という、ほとんどただそれだけのもので(正確には、そこに「23万語すべてを見直しました」というコピーが添えられており、このコピーによって、それが「あっこれって広告なんだね」と理解できる仕組みになっていたのであるが)、しかし、それであるがゆえに、なかなか強烈なインパクトを放っていた。

広辞苑の全ページを壁に貼るなんて、思いついてもなかなか実行できることではないと思われる。それが、端的に実行されているさまはなかなか清々しい。そして面白いのは、ページ数の多い(=厚い)本の代名詞ともいえる広辞苑であるが、それをばらして壁に貼ったときに、今度はその「ページ数の多さ」が「厚さ」としてではなく、壁を占める面積の量=「広さ」として、私たちの目の前にかたちとして現れることなったということである。何かについて、それがもつある一定の量を把握する際に、私たちは任意の単位に置き換えることで、ある程度抽象的に把握しているのだと思われるが、それが、きわめて具体的な「広さ」として、そこにその全貌を現しているのである。

だからそこでのコメントは、「この本、厚いな〜」ではなく「この本、広いな〜」というものになるわけだ。
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| 建築計画 | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
つきのぼうやの居場所 T邸「ネコちゃん図書室」

T邸の本棚コーナー、通称「ネコちゃん図書室」が完成したので、考えたことなどを書き留めておきたい。

本の種類には、自分が考えていた以上に、いろいろな高さ、奥行きのものがあるということを知った。

書店に行くと、新書は新書、文庫は文庫、コミックはコミックなどのように、ジャンル別に本が整理されて、それぞれが大量に反復される形で並べられているがゆえに、このことはなかなか気づかない。書店の本棚のあるコーナーだけを取り出してみれば、そこには同じ版形の本ばかりが並べられているからである。

しかし、一旦それらが購入されて家に持ち帰られると、そこには、書店とは異なった風景が現れることになるだろう。購入した本を新書は新書、文庫は文庫、などとジャンル別に並べようとしても、それらは、たいていの場合、本棚の一列を満たすほどの量がないし、だから本棚をジャンル別に分ける以前に、一つの本棚のなかに、様々なジャンルの本が「一緒に」収められることになるわけだから。そしてそのときに私たちは、本ってけっこう「いろいろな高さ、奥行きのものがある」ということに、あらためて気づかされるのである。

つまりそこには、高いの、大きいの、分厚いの、ペラペラなの、細いの、凸凹しているの…といったものたちが、一緒におさまることになる。そしてこれらに唯一共通しているのは背表紙が見えないと困るということなのである。(ちなみに、CD用の棚はこれとは全く異なる。むしろ、同じ大きさにそろえられたCDをいかに大量に並べることができるかということを考えた方がよい。)

様々な奥行き、様々な高さをもった、バラエティに富んだ本たちを、どうやって配置するか。それらの本たちが「便宜的に本棚におさめられている」ような姿としてではなく、それぞれの居場所を持って存在しているような本棚にするには、どのようなかたちが必要なのかを考えた。例えば、本が差し込まれることによって、その隙間が「使える」んだという発見がおこるような本棚にしようと思った。
| 建築計画 | 16:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
インテリアデザイン
セルフビルドで行っていた事務所の改装工事が1ヶ月かかってやっと終了した(工事の様子は小畑のblogを参照)。 というわけで、ささやかながら竣工祝いのパーティーを行い、そこで、友人であるサブチボの二人にケータリングをおねがいしたのだが、これがきわめて秀逸なものであったので、ここに書き留めておくことにしたい。



パーティーのケータリングといえば、皆が歓談している会場の端の方に大きなボウルにもられた料理がいくつか置かれ、そこまでやってきた客が各自少しずつ食べたいものを皿にとりわけて、また会場へと戻っていくというような形式が一般的だと思われる。

しかし、当日サブチボによって盛りつけられた料理のあり方は、次のようなものだった。

会場のほぼ中心に置かれた大きな机(1800mm×900m)に紙を敷いて、料理はその上に直接置かれていた。またそれらは、机の長手方向に沿って平行に、料理ごとに細長い帯をなす様に配置されていた。

それらは、たとえば花見をするときに、敷物を敷くことで場所が作られるのと同じ様に、あたかもそのような模様のテーブルクロスがセットされたかのごとく現れ、一気にその場所の空気を支配していた。

ここで起こっていることは、パーティー会場の片隅にボウルが置かれているようなケータリングのあり方とは全く異なる質の何か、どちらかというと、インテリアデザインと呼べるような質のものに近い出来事なのではないかと、私には思えた。

というか、このようなあり方をするものをこそインテリアデザインと呼びたい。料理が並べられることによって、その机が持っている特性が一気に開示され、また同時に、場所の空気がドラスティックに変化する。料理の見せ方一つとっても、それは建築と何ら変わらない側面をもつということを、今さらながらに思い知らされた。

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パーティーは、おかげさまで大盛況のうちに終了し、深夜近くになってからは同じビルのテナントである、某古典音楽研究所の方の生演奏等も披露されるというハプニング(youtubeにそのときの様子をupしてあります)等もあり、大変充実した時間となりました。ご来場くださった方々にはあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。
| 建築計画 | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
「オープンハウス、展」感想
先日、みかんぐみ曽我部昌史の自邸で行われていた「オープンハウス、展」を訪れる機会があった。きわめて興味深い展覧会であったので、感想を書いておくことにしたい。


まずおもしろいのは、そこでは、「オープンハウス」と呼ばれる、住宅を公開するイベント(すなわち、そこでは住宅そのものが観賞の対象となる)と、「展覧会」が同時に行われていたということである。建築設計などを生業としていると、例えば美術館に行ったときに、そこで観賞している絵画や彫刻作品だけでなく、その建物自体が気になって仕方がなくなってくるということ、すなわち美術館それ自体が一つの作品として見えてきてしまうということはよくあるのだが(ちなみに、このような視点は「美術作品を鑑賞する」という立場からは、単に不純な視点と思われる)、この展覧会はそういった混同を、あえて、積極的に行っている。すなわち、そこでは美術作品も、その作品が展示されている場所=家も、同時に観賞の対象となっており、それらの間に特別な差がつくられていない。この展覧会において、建物と美術作品の間には、積極的なヒエラルキーが与えらておらず、それらはその場で単に共存しているかのような印象をもった。たとえば、浅井裕介によって製作された壁画は、あらかじめ家にあった白い壁に描かれたという印象よりも、「そもそもそのような壁画が描かれた壁」によって建物が造られている、というような印象を私に与えた。
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| 建築計画 | 17:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
集合住宅見学会
7月7日、千葉大大学院「先端建築デザイン技術論ゼミ」小畑先生の集合住宅見学会に同行させていただく機会をいただいた。湾岸近郊のさまざまな規模の団地を見学するというもの。

見学会には、午前の部の途中から同行させていただく形となり、以下の場所を見ることが出来た。
・砂町銀座商店街 竣工1970頃 リンク
・木場三好団地 竣工1982 
・都営辰巳団地 竣工1970頃 リンク 
・シティコート東雲 竣工2000 リンク
・ラベール東陽町 竣工2003 
・アミティ大森 竣工1995 リンク
・品川八潮団地 竣工1980頃 リンク

以上の数の集合住宅を、移動時間も含めて半日で回ったので、かなり駆け足の見学会だと言える。しかし、一つ一つの場所をじっくりと見るのではなく、短時間のうちに様々なバリエーションに富んだ場所を網羅的に見てゆくという経験は、各々の集合住宅が持つ形式性から、そこに現れている空間の質的な違いまでを、実感としてつかむことを容易にし、実際、各集合住宅の違いは際立って感じられたように思う。飛び入り参加の私たちにとっても非常に有意義な見学会だった。以下、いくつかのものについて個別に感想等。
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| 建築計画 | 19:41 | comments(0) | trackbacks(0) |