濱菊_瀬山

建物を設計しながら考えたことなど
<< 「Yビル/中山英之」感想 | main |
「HANEGI G-House/山口誠」感想
hanegi_01

すこし前に、山口誠による木造住宅のリノベーション、HANEGI G-Houseを見学する機会をいただいたので、感想を書いておきたいと思う。

木造の住宅を改装するのって、独特の難しさがあると思う。特に、ここで改装の対象となっているような、いわゆる在来木造の建て売り住宅は、それ自体がある一定の論理のもとできっちり設計されているとは言い難い、いろいろな箇所が場当たり的に納められて出来ましたというような印象を与える、なんというか「不純な」建物なので、改装する際にはその不純さにつき合わなければならないからだ。

特に、これまでいくつかの山口氏の作品を見てきた印象からは、「在来木造の建て売り住宅」と「山口誠の建築」の相性がいいとはとても思えず…すなわち設計時に上記のような困難さに直面するであろうことが容易に予想できたので、その意味でも、どうなっているのか楽しみな作品だった。

例えば、このような建物を改装するときに、その場所がある一定の論理で組み立ててあるように見せるには「きれいに化粧」するのが一番手っ取り早いのかもしれない。あるいは既存部分と増築部分が完全に分離しているような表現にして、別のものに見せる方法もあると思う。というか失礼ながら、山口氏が在来木造のリノベーションをするのなら、このどちらかのアプローチしかないのではないかと勝手に想像していた。

しかし、HANEGI G-Houseはそのどちらのアプローチとも異なっていた。
まずこの作品では、既存建物部分と改築部分がはっきりと分かれておらず渾然一体となっている。「そうなってしまった」のではなく、はっきりと意図的にそうされている。例えば、壁、床、天井、軸組といった諸部分の仕上はそれぞれが意図的にずらされて配置され、見切り箇所を追っていくと相互に不整合を起こすような状態に「あえて」なされているのである。このことは大変重要であるだろう。というのも、こうすることで、それまで設計の絶対条件としてあらわれていた既存建物部分が、一気に相対化され、まるで既存部分も新たに設計された床や壁と同様に、デザインの対象として見えてくるという効果を持つからである。

思うに、そこで試みられていたのは、建物を改装するときに、「新/旧」とか「構造部分/そうでない部分」というような2項対立を持ち込んで、設計対象となる領域をはっきりさせることで、スジの通ったロジックを発現させることではなく、もっと不純なもの、在来木造建て売り住宅の不純さをそのままにしつつ、全体を一気にアップデートさせるような試みだったといえる。またこの点において、大変周到に設計されている作品だといえるのではなかろうか。

特に書いておく必要があると思われるのが、室内を手前と奥に区切っている、ガラスの間仕切りである。これは、前述のように「意図的にずらされて配置」された結果、床や壁、それに柱などの構造体といった、建物を構成している他の要素とかかわり合うことなく、半ば唐突かつ即物的に室内を手前と奥に分割している。(といっても高さ2000mm程度より上部はつながっており、ここでもきっちりとした分割はおこなわれないというルールは守られている。)

僕がこの建物を見学させてもらった日は、晴天で建物の外がとても明るかったため、室内を区分けているはずのガラスのスクリーンに、くっきりと、家の外の風景やその手前にいる自分の姿が写り込んでおり、これが大変効果的に機能していた。それは、ハーフミラーのような効果を発揮し、スクリーンの手前に立つ人や、前面道路の風景だけでなく、その奥側にある窓から見える風景、あるいは向こう側にいる人が動く様子などを渾然一体となって「見えるようにして」いた。このことに強引に意味を与えるならば、室内を「前/後」「手前/奥」といった領域に区分ける働きを持つ壁が、視覚的にはそれらを統合するという、相反する逆の役割を同時に果たしていたということになるだろう。このスクリーンのありようこそが、この改装設計で試みられている方法論を端的にあらわしているとすら言えるかも知れない。とにかく、そこで現れていた室内風景は、大変に魅力的なものであった。
| オープンハウス | 19:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://sym.hama-giku.com/trackback/1179293
トラックバック