濱菊_瀬山

建物を設計しながら考えたことなど
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量・スケール・SMLXL



■量

昨年末のことなのだが、興味深い広告を見つけたので書き留めておこうと思う。

それは、広辞苑の広告なのだが、なんというか、広告などと呼ぶにはあまりにも直接的かつ即物的なものなので、一見すると、それが広告であるようには見えない代物だった。

それは、新宿駅の東口から西口へ通り抜ける地下通路の壁に「縮刷された広辞苑の全ページが貼ってある」という、ほとんどただそれだけのもので(正確には、そこに「23万語すべてを見直しました」というコピーが添えられており、このコピーによって、それが「あっこれって広告なんだね」と理解できる仕組みになっていたのであるが)、しかし、それであるがゆえに、なかなか強烈なインパクトを放っていた。

広辞苑の全ページを壁に貼るなんて、思いついてもなかなか実行できることではないと思われる。それが、端的に実行されているさまはなかなか清々しい。そして面白いのは、ページ数の多い(=厚い)本の代名詞ともいえる広辞苑であるが、それをばらして壁に貼ったときに、今度はその「ページ数の多さ」が「厚さ」としてではなく、壁を占める面積の量=「広さ」として、私たちの目の前にかたちとして現れることなったということである。何かについて、それがもつある一定の量を把握する際に、私たちは任意の単位に置き換えることで、ある程度抽象的に把握しているのだと思われるが、それが、きわめて具体的な「広さ」として、そこにその全貌を現しているのである。

だからそこでのコメントは、「この本、厚いな〜」ではなく「この本、広いな〜」というものになるわけだ。
■スケール

とはいえ、この広辞苑は「縮刷」されていたので、その「広さ」は正確には「実物大」ではなかった。それは、おそらく1/2くらいのスケールになっていたと思われる。しかし、文字はしっかり読めるということが重要で、おそらく、「壁面にすべてのページを貼りきれる大きさまで縮小する」ことと「しかし、文字や図版はきちんと判読可能」という条件の間でスタディが繰りかえされたことは想像に難くない。

考えてみれば、直感的には把握しづらい巨大なものを、スケールを与えることで把握可能にするということは、他ならぬ建築設計の現場において、私が日常的に行っていることなのであった。そこでは、作られるのものの条件に合わせて必要に応じ、1/20とか1/50などといったスケールでものが考えられている。また、そのように考えなければ、たとえ設計の対象が小さな部屋の改装であっても、全体を把握することはきわめて困難だといっていい。

製作過程においては「スケールを与えることで、全体を把握する」ことが必要になる一方で、完成したものは、もはや全貌を把握できないほど巨大になるということは、「建築」と呼ばれるジャンルのなかで作られる作品がもつ、端的な特性のようなものだと考えられる。ところが、こうしてみると「広辞苑」にもそのような特性が備わっていることがよくわかる。というか、こうしてみると、「広辞苑」がひとつの「建築物」にすら見えてくるのであった。

■小、中、大、巨大

思えば、95年に出版されたRem Koolhaasによる著作「S,M,L,XL」は、まさにこのようなことを、「建築」の側から、その身を以て示した本だったなと、この広告をみてあらためて思い出した。今更このblogで指摘するまでもないことなのであるが、本のタイトルである「小、中、大、巨大」という言葉の中に、すでにして端的にスケールについての概念が含まれているし、本棚に並べることなく自立してしまうその厚さが、文字通り「辞書」のようであり、スケッチから文章、雑誌の切抜きから図面までが寄せ鍋のようにあつめられ巨大な全体性を獲得したこの本は、それ自体がひとつの「建築物」であるという主張を発していた。というわけで、あらためてこの本を本棚から引っ張りだしてみようと思う。

| 建築計画 | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
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