濱菊_瀬山

建物を設計しながら考えたことなど
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上越新幹線の車窓からの風景を眺めながら思いついたことのメモ

ここ最近、現場管理で群馬県の前橋まで行く事があり、その際に上越新幹線を使う機会が多かったのだが、幾度か乗っているうちに、その車窓から見える風景について面白い発見があったので、ここに書き留めておくことにしたい。

ちなみに、新幹線を使わない場合、新宿から在来線の湘南新宿ラインを利用し、途中から高崎線の路線に乗り入れ前橋まで向かうことになる。その際に車窓から見える景色は次のようなものだ。すなわち、新宿を出てすぐに、線路脇に地元の工務店やらハウスメーカーによって建てられた住宅やアパート、マンションが高密度に立ち並ぶ風景がひたすら延々と繰り返され、それらの中にほとんど変化を感じ取る事もできぬまま、2時間近くが過ぎ、その密度が若干緩くなってきたかな…というころになって、前橋に到着する。在来線の車窓の風景に限って言えば、そこには「境界」が存在しないのである。なんというか、絵に描いたかのごとく退屈な風景が、穏やかなグラデーションを描きながら切れ目なく連続した地続きの場所として、前橋市は存在するのだった。(というか、これは特に前橋市に限った事ではないのかもしれない。在来線を利用して東京から数時間の距離にある都市、たとえば宇都宮や木更津、ひたちなか市などへ向かう電車の車窓の風景からは、少なからずこのような印象を受けることになるのではないだろうか。)

ところが、上越新幹線に乗ってみると、その車窓の風景からは一転してこのような印象とは全く異なった印象が与えられてしまうのである。なぜなら、その車窓からの風景においては、はっきりと、ドラスティックに都市からそうでない場所へと風景が切り替わる瞬間が、目に見えて存在するのである。なんというか、「ここはヨーロッパの中世の都市ですか?」と言ってよいくらいにはっきりと。

具体的に記すとそれは大宮の少し先、上越新幹線とニューシャトルが並走する場所の「沼南駅」と「丸山駅」の間にある、蛇行した川を渡る地点だ。この川が文字通りの境界線になる。おそらくこの境界をより印象的に感じ取ることができるのは、上越新幹線の上り列車、進行方向左手側の窓際に乗っている時だろう。それまで、広い土地の中に、いくつかの家が建っていたり、所々に木々がまとまって生えていたりする風景…すなわち風景の中に「地面」が見えていたもの…が、この川を境にして、一気に風景は「建物」で覆い尽くされ、それ以降、風景の中に地面が見えることは文字通り一度もなくなる。見えるのは、建物とその屋根、それから土木構築物(橋や道路)のみとなり、地平線までを、見渡す限り完全に人工物が覆い尽くすことになるのである。(唯一、荒川を越えるときにその川岸に地面的な物が見えはするが、それは人工的に作られた河川敷なのであった。)この手前と奥で、誰かが仕組んだかのごとく、風景の「色」が鮮やかに一変する。


当初新幹線に乗っていたときにはこのことに気づいていなかったのだが、幾度か乗っているうちに、熊谷辺りで、その車窓の風景が、高崎線の車窓から見えるものとは何か違っていると言う事に、まず思い至った。なんというか、そこから見える風景は妙に広々としていて、魅力的なのである。まず、端的に見渡せる土地が広い。その広い土地の中に、家や森、田んぼ、畑等が配置されている。また、家は庭とセットになり、その庭には充分に育った樹木等が植えられ、それらが関係し合いながら、一つの風景を形作っている。言葉にすればそれは「田園風景」とでも言えるだろうか。その風景は、上越新幹線が関東平野と呼ばれる地帯のど真ん中を走っているということを意識させるのに充分な説得力を持っており、しかし、同じように関東平野のど真ん中を走っているはずの、高崎線の車窓の風景からは、ほとんど見えてこない風景なのであった。そして、その「田園風景」に見入っていると、今度は突然、風景が「街」のそれに切り替わるのである。その、実にいさぎの良いきっぱりとした切り替わり様に思わず笑いがこみあげてくるのだった。そこでは、今日の風景において、「都市」と「田園」の間に境界があるなんて、全く想像もできないことが、ほとんど漫画のように目の前に描かれるのである。

さらに面白いのは、この落差を地図で確認できるかと思い、眺めてみてもそれほどはっきりとした境界を地図上に認める事は難しいということなのである。すなわち「上越新幹線」という装置がこの落差を文字通り「見て取る」ことを可能にしている。


ということは、「境界」なるものは単一の形式として存在しているわけではなく、それを発見する方法の数だけ風景の中に存在しているという事になると思われる。だから、日常的にまったく見慣れている風景の中にも、潜在的に無数の境界が埋め込まれているということなのだろう。自分が設計する建物がこういった潜在的な境界を可視化する装置になっていればいいな、などと考えてしまうのだった。
| 建築計画 | 18:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
コメント
沼南〜丸山間の「境界」は地図で見るとわかりづらいけど、Googleマップのモードを航空写真に切り替えると、とたんに立ち現れてくるね。ちなみにここは上越新幹線と東北新幹線が分かれる(統合される)ポイントになってるけど、東北新幹線を何度も利用してる自分は気にもとめたことがなかった。今度気にして見てみるけど、おそらく上越新幹線ほどはっきりとした「境界」は見えないような気がしますね。
それから境界を可視化した装置としては、なんといっても川端康成の『雪国』だよね。あの冒頭の一節は、そうとう強力な装置として機能したと思う。
| CAN | 2008/04/17 9:09 PM |
この「境界」を見つけるには、わりと遠くまで風景が見えている事が重要なのかなと思います。
東北新幹線だと、上り列車の右手に乗った方が良いかもしれません。

いわれてみると『雪国』の冒頭の一節は、境界をデジタルに切り替えるための強力な装置ですね。
ほかにもこういったものを探したら面白いのではないかと思います。
「境界」ってカテゴリーをつくってこのblogでやろうかな。
| sym | 2008/04/21 4:01 PM |
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