濱菊_瀬山

建物を設計しながら考えたことなど
「風景の解像力展」感想 その1

少し前の事になるが、inax銀座で開かれていた「風景の解像力展」に行ってきた。そのなかでも特に印象に残った作品について感想を書いておきたいと思う。


この展覧会は、ja70号との連動企画ということであり、また同時に開催される若手建築家によるシンポジウムに合わせて行われたものであるので、いわばそのシンポジウムのための解説用展示といった意味合いが強かったように見受けられた(実際、展示はギャラリーではなく特設スペースで行われており、その告知も、独立した展覧会としてはなされていなかった)。私はそのシンポジウム自体は観覧することが出来なかったのだが、いくつかの作品は単にシンポジウムの添え物という枠を超えて充分に面白いものであった。

特に目を引いたのが、中山英之による展示である。展示物は、この建築家自身によって設計されたキャンバスが壁に立てかけられ、そこにドローイングか描かれているというものである。この単純きわまりない展示「方法」に、端的に中山による建築の作法が十二分に発揮されているように思えた。
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| 展覧会の感想 | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
森山邸のこと

ひと月ほど前、森山邸(設計:西沢立衛)を見学する機会に恵まれたので、ここにメモを残しておくことにする。

この建物において作られている様々な場所を分類すると、次のような物になるだろう。
「屋根のない場所/屋根のある場所」
「靴で歩く場所/靴を脱ぐ場所」
この2つの分類項の組み合わせによって作られる4つの領域(屋根がなくて靴を履く、屋根はないが靴は脱ぐ、屋根はあるが靴を履く、屋根があって靴を脱ぐ)がこの建物には存在する。というか、この建物を訪れてそこを歩き回っていると、自ずとこのことに気づかされるような作りになっているのである。

これはこの建物にとって、非常に重要な事だとおもわれる。なぜならばこのような形式性は、通常の建物においては自明のように前提とされている「内部/外部」といった分割のうちには捉えきる事ができない空間の存在を含んでいるからである。例えば、ガラスによってのみ囲われた通路状の空間は、床面も土で作られていたが、ここは外部なのか?内部なのか?あるいは、小さな浴室とキッチンの間に挟まれ、植木が植えられている中庭のようなスペース。ここは、物理的には「屋外」の空間でありながら、しかしきわめて「内部」的な場所になっていると言えないだろうか?
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| 建物のかたちについて | 16:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
上越新幹線の車窓からの風景を眺めながら思いついたことのメモ

ここ最近、現場管理で群馬県の前橋まで行く事があり、その際に上越新幹線を使う機会が多かったのだが、幾度か乗っているうちに、その車窓から見える風景について面白い発見があったので、ここに書き留めておくことにしたい。

ちなみに、新幹線を使わない場合、新宿から在来線の湘南新宿ラインを利用し、途中から高崎線の路線に乗り入れ前橋まで向かうことになる。その際に車窓から見える景色は次のようなものだ。すなわち、新宿を出てすぐに、線路脇に地元の工務店やらハウスメーカーによって建てられた住宅やアパート、マンションが高密度に立ち並ぶ風景がひたすら延々と繰り返され、それらの中にほとんど変化を感じ取る事もできぬまま、2時間近くが過ぎ、その密度が若干緩くなってきたかな…というころになって、前橋に到着する。在来線の車窓の風景に限って言えば、そこには「境界」が存在しないのである。なんというか、絵に描いたかのごとく退屈な風景が、穏やかなグラデーションを描きながら切れ目なく連続した地続きの場所として、前橋市は存在するのだった。(というか、これは特に前橋市に限った事ではないのかもしれない。在来線を利用して東京から数時間の距離にある都市、たとえば宇都宮や木更津、ひたちなか市などへ向かう電車の車窓の風景からは、少なからずこのような印象を受けることになるのではないだろうか。)

ところが、上越新幹線に乗ってみると、その車窓の風景からは一転してこのような印象とは全く異なった印象が与えられてしまうのである。なぜなら、その車窓からの風景においては、はっきりと、ドラスティックに都市からそうでない場所へと風景が切り替わる瞬間が、目に見えて存在するのである。なんというか、「ここはヨーロッパの中世の都市ですか?」と言ってよいくらいにはっきりと。
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| 建築計画 | 18:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
ドラクエのこと



もう数年前のことになるが、ゲームボーイにドラゴンクエスト1のカートリッジを差し込んで、駅のホームで電車を持ちながら楽しんでいたところ、ふと案内表示を見上げるとそこには、次にくる列車が「竜王」行きであるとのメッセージが…これはなかなかよくできた偶然だと思うのだがどうだろうか?

さて、今回のエントリで書こうとおもっているのは昨年末に任天堂DS用にリメイクされたドラゴンクエスト4(以下DQ4)のことだ。というのも、去年の暮れに購入し、今年の始めにかけてプレイしていたこのゲームを、僕はついに終わらせることが出来なかったからなのである。

といっても、これはこのゲームの難易度が高すぎて挫折した(例えば「魔界村」をクリアできないのと同じように)とか、そういうことではない。むしろ、ゲームは順調に進行しつつあり、このまま続けていればもうすこしで終わるだろうという雰囲気を漂わせていたにもかかわらず、そのゲームにたいする「興味」をついに持続できなかったのである。というか、より端的にいえば、そこで強いられる「作業」をすることに耐えられなくなってしまった、ということになる。

しかしこれは、一般的な意味においての「ゲームの完成度が低い」ということとは異なる問題になるだろう。なぜなら、リメイクされたDQ4は、淀みのないストーリー、美麗なグラフィック、細部まで楽しませようという配慮に満ちたディティール等、いかなる部分をとりだしてみてもおよそ破綻のない、きわめて「完成度が高い」ゲームであると言ってよいものであるからだ。
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| ゲーム | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
量・スケール・SMLXL



■量

昨年末のことなのだが、興味深い広告を見つけたので書き留めておこうと思う。

それは、広辞苑の広告なのだが、なんというか、広告などと呼ぶにはあまりにも直接的かつ即物的なものなので、一見すると、それが広告であるようには見えない代物だった。

それは、新宿駅の東口から西口へ通り抜ける地下通路の壁に「縮刷された広辞苑の全ページが貼ってある」という、ほとんどただそれだけのもので(正確には、そこに「23万語すべてを見直しました」というコピーが添えられており、このコピーによって、それが「あっこれって広告なんだね」と理解できる仕組みになっていたのであるが)、しかし、それであるがゆえに、なかなか強烈なインパクトを放っていた。

広辞苑の全ページを壁に貼るなんて、思いついてもなかなか実行できることではないと思われる。それが、端的に実行されているさまはなかなか清々しい。そして面白いのは、ページ数の多い(=厚い)本の代名詞ともいえる広辞苑であるが、それをばらして壁に貼ったときに、今度はその「ページ数の多さ」が「厚さ」としてではなく、壁を占める面積の量=「広さ」として、私たちの目の前にかたちとして現れることなったということである。何かについて、それがもつある一定の量を把握する際に、私たちは任意の単位に置き換えることで、ある程度抽象的に把握しているのだと思われるが、それが、きわめて具体的な「広さ」として、そこにその全貌を現しているのである。

だからそこでのコメントは、「この本、厚いな〜」ではなく「この本、広いな〜」というものになるわけだ。
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| 建築計画 | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
つきのぼうやの居場所 T邸「ネコちゃん図書室」

T邸の本棚コーナー、通称「ネコちゃん図書室」が完成したので、考えたことなどを書き留めておきたい。

本の種類には、自分が考えていた以上に、いろいろな高さ、奥行きのものがあるということを知った。

書店に行くと、新書は新書、文庫は文庫、コミックはコミックなどのように、ジャンル別に本が整理されて、それぞれが大量に反復される形で並べられているがゆえに、このことはなかなか気づかない。書店の本棚のあるコーナーだけを取り出してみれば、そこには同じ版形の本ばかりが並べられているからである。

しかし、一旦それらが購入されて家に持ち帰られると、そこには、書店とは異なった風景が現れることになるだろう。購入した本を新書は新書、文庫は文庫、などとジャンル別に並べようとしても、それらは、たいていの場合、本棚の一列を満たすほどの量がないし、だから本棚をジャンル別に分ける以前に、一つの本棚のなかに、様々なジャンルの本が「一緒に」収められることになるわけだから。そしてそのときに私たちは、本ってけっこう「いろいろな高さ、奥行きのものがある」ということに、あらためて気づかされるのである。

つまりそこには、高いの、大きいの、分厚いの、ペラペラなの、細いの、凸凹しているの…といったものたちが、一緒におさまることになる。そしてこれらに唯一共通しているのは背表紙が見えないと困るということなのである。(ちなみに、CD用の棚はこれとは全く異なる。むしろ、同じ大きさにそろえられたCDをいかに大量に並べることができるかということを考えた方がよい。)

様々な奥行き、様々な高さをもった、バラエティに富んだ本たちを、どうやって配置するか。それらの本たちが「便宜的に本棚におさめられている」ような姿としてではなく、それぞれの居場所を持って存在しているような本棚にするには、どのようなかたちが必要なのかを考えた。例えば、本が差し込まれることによって、その隙間が「使える」んだという発見がおこるような本棚にしようと思った。
| 建築計画 | 16:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
インテリアデザイン
セルフビルドで行っていた事務所の改装工事が1ヶ月かかってやっと終了した(工事の様子は小畑のblogを参照)。 というわけで、ささやかながら竣工祝いのパーティーを行い、そこで、友人であるサブチボの二人にケータリングをおねがいしたのだが、これがきわめて秀逸なものであったので、ここに書き留めておくことにしたい。



パーティーのケータリングといえば、皆が歓談している会場の端の方に大きなボウルにもられた料理がいくつか置かれ、そこまでやってきた客が各自少しずつ食べたいものを皿にとりわけて、また会場へと戻っていくというような形式が一般的だと思われる。

しかし、当日サブチボによって盛りつけられた料理のあり方は、次のようなものだった。

会場のほぼ中心に置かれた大きな机(1800mm×900m)に紙を敷いて、料理はその上に直接置かれていた。またそれらは、机の長手方向に沿って平行に、料理ごとに細長い帯をなす様に配置されていた。

それらは、たとえば花見をするときに、敷物を敷くことで場所が作られるのと同じ様に、あたかもそのような模様のテーブルクロスがセットされたかのごとく現れ、一気にその場所の空気を支配していた。

ここで起こっていることは、パーティー会場の片隅にボウルが置かれているようなケータリングのあり方とは全く異なる質の何か、どちらかというと、インテリアデザインと呼べるような質のものに近い出来事なのではないかと、私には思えた。

というか、このようなあり方をするものをこそインテリアデザインと呼びたい。料理が並べられることによって、その机が持っている特性が一気に開示され、また同時に、場所の空気がドラスティックに変化する。料理の見せ方一つとっても、それは建築と何ら変わらない側面をもつということを、今さらながらに思い知らされた。

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パーティーは、おかげさまで大盛況のうちに終了し、深夜近くになってからは同じビルのテナントである、某古典音楽研究所の方の生演奏等も披露されるというハプニング(youtubeにそのときの様子をupしてあります)等もあり、大変充実した時間となりました。ご来場くださった方々にはあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。
| 建築計画 | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
「オープンハウス、展」感想
先日、みかんぐみ曽我部昌史の自邸で行われていた「オープンハウス、展」を訪れる機会があった。きわめて興味深い展覧会であったので、感想を書いておくことにしたい。


まずおもしろいのは、そこでは、「オープンハウス」と呼ばれる、住宅を公開するイベント(すなわち、そこでは住宅そのものが観賞の対象となる)と、「展覧会」が同時に行われていたということである。建築設計などを生業としていると、例えば美術館に行ったときに、そこで観賞している絵画や彫刻作品だけでなく、その建物自体が気になって仕方がなくなってくるということ、すなわち美術館それ自体が一つの作品として見えてきてしまうということはよくあるのだが(ちなみに、このような視点は「美術作品を鑑賞する」という立場からは、単に不純な視点と思われる)、この展覧会はそういった混同を、あえて、積極的に行っている。すなわち、そこでは美術作品も、その作品が展示されている場所=家も、同時に観賞の対象となっており、それらの間に特別な差がつくられていない。この展覧会において、建物と美術作品の間には、積極的なヒエラルキーが与えらておらず、それらはその場で単に共存しているかのような印象をもった。たとえば、浅井裕介によって製作された壁画は、あらかじめ家にあった白い壁に描かれたという印象よりも、「そもそもそのような壁画が描かれた壁」によって建物が造られている、というような印象を私に与えた。
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| 建築計画 | 17:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
集合住宅見学会
7月7日、千葉大大学院「先端建築デザイン技術論ゼミ」小畑先生の集合住宅見学会に同行させていただく機会をいただいた。湾岸近郊のさまざまな規模の団地を見学するというもの。

見学会には、午前の部の途中から同行させていただく形となり、以下の場所を見ることが出来た。
・砂町銀座商店街 竣工1970頃 リンク
・木場三好団地 竣工1982 
・都営辰巳団地 竣工1970頃 リンク 
・シティコート東雲 竣工2000 リンク
・ラベール東陽町 竣工2003 
・アミティ大森 竣工1995 リンク
・品川八潮団地 竣工1980頃 リンク

以上の数の集合住宅を、移動時間も含めて半日で回ったので、かなり駆け足の見学会だと言える。しかし、一つ一つの場所をじっくりと見るのではなく、短時間のうちに様々なバリエーションに富んだ場所を網羅的に見てゆくという経験は、各々の集合住宅が持つ形式性から、そこに現れている空間の質的な違いまでを、実感としてつかむことを容易にし、実際、各集合住宅の違いは際立って感じられたように思う。飛び入り参加の私たちにとっても非常に有意義な見学会だった。以下、いくつかのものについて個別に感想等。
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| 建築計画 | 19:41 | comments(0) | trackbacks(0) |